人生の最終段階で行う終活の中でも、遺産相続は最も実務的かつ感情的なエネルギーを要する作業です。遺言書の作成、財産目録の整理といった物理的な準備は不可欠ですが、いくら法的に完璧な準備を整えたとしても、家族間で「争続」と呼ばれる争いが生じてしまうケースは後を絶ちません。なぜなら、相続を巡る問題の根源は、お金や物そのものではなく、心の執着と故人への複雑な感情にあるからです。
仏教は、この難題に対し、ただ法律を遵守する以上の深い心の智慧を提供します。それが仏教の根幹をなす精神である慈悲の心です。慈悲とは、「慈(いつくしみ)」(他者に楽を与えたいと願う心)と「悲(あわれみ)」(他者の苦しみを取り除きたいと願う心)を合わせたものであり、この慈悲の心をもって遺産を考えることこそ、故人から家族へ贈る最期の、そして最も尊い贈り物となるのです。
遺産相続の根本的な問題~執着と煩悩の鏡
遺産を巡る争いの背後には、故人や相続人それぞれの執着と煩悩が複雑に絡み合っています。
故人の執着(我執)としては、私の財産は私が築いたものだという自己中心的な思いや、特定の相続人への強い思い入れ、あるいは、あの人にだけは渡したくないという憎しみや怒りといった感情が遺言の内容を歪めてしまうことがあります。一方、相続人の煩悩(貪り)としては、自分はもっともらうべきだという貪欲な心、あの兄弟だけ優遇されたという嫉妬や怒りの心(瞋)、そしてお金があれば幸せになれるという真理を知らない無知(癡)が争いの火種となります。
慈悲の心で遺産相続を行うとは、まず故人自身が自分の財産をこれらの煩悩の道具にしないよう、自らの我執を手放す修行をすることから始まります。
慈悲の心で財産を再定義する
故人が生前に行う遺産相続の準備は、財産を執着の対象から慈悲を実践する手段へと意味づけ直す作業でなければなりません。
① 財産は縁の結晶である
仏教の縁起の教えによれば、私たちが築き上げた財産は、自分一人の力で生み出されたものではありません。社会の縁、取引先の縁、家族の縁、そして過去の先祖の努力といった、無数の繋がりが結集して一時的に私の財産として現れているにすぎません。
遺産を、この縁の結晶として捉え直すことで、私のものだという執着が和らぎます。そして、縁によって得たものを今度は縁ある人々の楽と苦の除去のために分かち合おうという慈悲の心が芽生えます。
② 布施としての遺産分与
遺産分与は、単なる法的な所有権の移動ではなく、仏教における布施、すなわち惜しみなく与えるという利他行の実践と捉えるべきです。
布施には、財産を施す財施だけでなく、恐れを取り除く「無畏施(むいせ)」、真理を説く「法施(ほうせ)」がありますが、遺産相続における布施の真価は「無畏施」にあります。つまり、遺族の心の不安や争いの苦しみを取り除くことが最優先の布施となるのです。
故人は財産そのものを渡すことよりも、この遺言書によって、あなたたちが争う心配がなくなったよという安心(無畏)を家族に贈ることを目指すべきです。
慈悲の実践~遺産相続における三つの配慮
故人が慈悲の心を具体的に遺産相続に反映させるためには、次の三つの配慮が不可欠です。
① 平等より配慮を優先する(差別のない慈悲)
法的には平等な分与が求められますが、慈悲の視点では、単なる形式的な平等ではなく、それぞれの相続人が抱える事情や苦しみへの配慮を優先します。
例えば、病気や介護で苦労をかけた家族、あるいは経済的に自立が難しい家族がいる場合、その苦を取り除くために、あえて遺産の配分に傾斜をつけることが真の慈悲となることがあります。重要なのは、その配慮の理由を遺言書やエンディングノートで正見(真実の言葉)をもって明確に伝え、遺族に誤解や不満を残さないことです。
② 感謝と謝罪の言葉を添える(正語の実践)
遺産分与の最も重要な要素は、お金ではなく言葉です。遺言書やエンディングノートに単なる分与の指示だけでなく、なぜそのように分与したのかという動機、そして家族一人ひとりへの感謝と謝罪の念を記すことは、争いを防ぐ最も強力な防波堤となります。
過去のわだかまりや、言いそびれた感謝の言葉を、この最期の贈り物に込めることで、遺族は故人の愛と慈悲の心を受け取り故人をめぐる争いの心を手放すことができます。
③ 使途に利他の心を込める(残りの財産の扱い)
相続人への分与とは別に、残りの財産や分与後に家族で共有するべき財産(不動産など)の使途について、利他の視点から希望を遺すことも慈悲の実践です。
例えば、この財産は地域社会の活性化や困っている人のために使ってほしいといった利他の志を遺すことで、家族は故人の死後もその慈悲の精神を受け継ぎ、利他行を実践する機会を得ることができます。これにより、遺産は単なる富ではなく善行のバトンへと変化するのです。
争いを断つ最期の功徳
慈悲の心で考える遺産相続とは、自分の死という出来事を家族間に争いを引き起こす苦の連鎖として終わらせるのではなく、家族全員に心の安寧という楽を与える最後の功徳(善行)として完成させることです。
財産を分ける行為を通じて故人は自らの執着を手放し、家族は故人の遺した愛と智慧に触れる。この慈悲に基づいた終活こそが、遺産相続を家族間の深い絆を再確認する最も尊い儀式へと変えるのです。
