完璧を求めない介護~仏教の中道から見つける程よい距離感

介護者の多くは真面目で責任感が強く、私が一番よく知っているから、すべて完璧にやらなければという高い基準を自分自身に課しがちです。この思いは尊い献身の裏返しではありますが、同時に介護者を深く追い詰める原因ともなります。

完璧主義は、仏教でいうところの執着の一種です。理想の介護という固定されたイメージに固執すると、それが現実と異なるたびに怒りや自己否定、そして燃え尽き症候群を引き起こしかねません。また、完璧を追求する介護は、しばしば介護される側にとっても息苦しさを感じさせます。常に緊張し、疲弊しきった介護者の姿は、かえって相手の心に安らぎを与えられません。このジレンマから抜け出すには、程よい距離感を見つけることが必要です。

両極端を離れる智慧:仏教の中道とは

中道とは、極端な二つの考え方や行動から離れ、ちょうど良いバランスを取ることを意味します。

介護にこの中道を当てはめてみると、私たちは、完璧主義と放任主義という二つの極端な道の間に立たされていることがわかります。完璧主義はすべてを自分で抱え込み、自分を消耗させる極端な執着です。一方、放任主義は義務感から逃れ、必要なケアを放棄する極端な手放しです。中道とは、このどちらにも偏らないこと。この状況で、自分と相手にとって最も安定し継続可能な選択は何かというバランスを見つけることです。

程よい距離感を見つける中道の実践

中道から見出す程よい距離感とは、介護される人との物理的な距離だけでなく、感情的・心理的な距離感を指します。

まず、努力と休息の中道、すなわちエネルギーのバランスを取ることが求められます。完璧にやろうとすると燃え尽きますが、介護を継続するための休息や趣味の時間は、サボりではなく利他行を続けるための自利であると意識を転換します。自分を満たすことを利他的な行為と捉え直すことで、罪悪感なく休めるようになります。また、介護の質を100点ではなく80点で良しとする基準、すなわち八割主義を意識します。この20点の余裕が心の潤滑油となり、失敗や予期せぬ出来事に対する許容力を高めるのです。

次に、理想と現実の中道、すなわち心の距離感を保つ実践が必要です。こうあるべきだという理想に執着するのをやめ、現実の状況を受け入れる心の距離感を持つことが重要です。認知症による症状は、無常という大きな流れの中の変化の一つであると捉えることで、どうしてこんなことになってしまったんだという抵抗や怒りから距離を置くことができます。

さらに、介護士や看護師といったプロの助けを借りることは、自分の失敗や能力不足を認めることではありません。プロのサービスを受け入れ頼ることは、自らの完璧主義の執着を手放す中道の実践となります。

中道がもたらす心の解放

完璧を求めない中道の介護は、介護者に心の解放をもたらします。

心の余裕が生まれると、あなたは介護される人をケアの対象としてだけでなく、一人の人間として、より穏やかで温かい目で見られるようになります。完璧でなくても、その安定した穏やかさこそが、介護される人にとって最も大きな安らぎとなるのです。

中道は、あなたに頑張るなと言っているのではありません。最も苦しみが少なく、最も永続的に愛と慈悲を行える道を選びなさい、と教えているのです。完璧な介護者である必要はありません。ただ、自分自身と目の前の縁を大切にする、程よい介護者でいることを目指しましょう。